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東京~仙台 沿岸ライド記!その2

WRITTEN BY早ぴっぴ blog
磯原の二ッ島。

こんにちは。南麻布店スタッフの早ぴっぴこと早川です。
前回に続きまして、4日間かけて太平洋沿海を走るライドの、2日目の記録となります。
(前回をまだご覧になっていない方はそちらを先にどうぞ!リンクから飛べます)
日立市を発って、この日は福島県富岡町に宿を予約し目指していきます。
距離にしておよそ100km。それほどハードな行程ではありません。
そもそもこの旅はひたすら沿岸を行くので目立ったクライミングコースもなく、純粋に「サイクリング」という観点からするとはっきり言って退屈デス。
ですが、見て、感じて、知る事は多いライドではないかと!

日立駅前にて。

スタートしてまず何があったかというと、パンクです(^^;)
10kmも走らずプシュー…という音がして、リアタイヤが突き刺しパンク。
前回書きましたが、国道6号は砂利が浮いた側道も多く、その影響でしょう。
気づけばタイヤトレッドは傷だらけでした。
しかし備えはしっかりしていますので(この後起こることを考えると何言ってんだとなりますが…)、
すぐさま修理に取り掛かります。
トレッドを確認して異物を取り除き、チューブを新しいものに交換。携帯ポンプでエアを入れていきます。
充分な圧になったところでポンプを外します…が、なんと外れない!
ネジ式のバルブ口なのですが、猛烈に固く回らなくなってしまいました。おそらく空気圧が上がったことによる内圧が原因かと思われます。
どうにか回そうと全力を込めて、さらにはねじってゆすって引っ張って格闘し、1時間ほど経った頃ようやく外れてくれた!
いやはや、緊急用の装備はチェックしてからライドに臨むべしと、改めて学びました。
これでまたパンクしたら嫌だなと思いながら、再出発。

道中みつけた津波避難タワー。扉や鍵はなく、有事に備えいつでも立ち入れる。

基本的にロードサイドには目立ったものはないのですが、しばらく走っているとふと鉄のジャングルジムのようなものが。
これがなんと津波避難タワーというもので、津波から逃れる人口の高台のようです。
こんなものを備えているとは!初めて知って驚きました。また別のところには津波の記録碑というものもあり、その地点の津波の高さが刻まれています。

津波の到達点を記録した碑。ここには4.4mの波が来たとのこと。

実はこの旅は、震災遺構をはじめ被災地の現在を見てみたいというのが、主題の一つなのです。
いよいよそれがわかる場所に踏み込んだぞと、実感が湧いてきます。
こういう現地に行かないとわからない、車で走ってたら通り過ぎてしまうものが見られたのも自転車で来たからこそですネ。

風船爆弾放球の掲示と、後ろには慰霊碑。仏になれば敵も味方もなくなるのは日本人の美徳かと。

そして最初の目的地、大津港に到着。ここでは港ではなく、史跡を見に来ました。
それは太平洋戦争中の兵器、風船爆弾の放球基地跡です。コンクリートでできた円形の土台や、慰霊碑があります。ここから放たれた爆弾が気流に乗って北米に届いたというのは、途方もないアナログ感と共に、驚きを禁じえません…。

円形コンクリートの放球台。数少ない史跡だが、あまり手入れはされず荒れた様子…。

また大津の近くの平潟港には特攻艇の格納庫があるとのことで寄ったのですが、こちらはコロナで立ち入りが規制されていて見ることはできず。
しかし入り口には震災復興のアンコウ像があったり、アンコウのキャラクターが飾られてたり、アンコウ推しの様が良いですね。

平潟港入口のアンコウ像。復興祈念のモニュメント。
アンコウのキャラが可愛いw
アンコウの親方みたいなキャラ。
何かとアンコウ推し。可愛い。

また国道6号に戻り、歩みを進めます。が、ここでまた問題発生。
勿来のあたりで再びのパンクです!
1度目の突き刺しパンクの異物が残留していて再発。というのはよくあるパターンですから、そうならないようチェックはしたんですがね…。運がないのか見落としていたのか。
仕方なくまた修理しようとしますが、1度目でポンプを散々弄ったせいか、ピストンロッドがスッポ抜けてしまいました。マジで!?
ポンプを組み直そうと分解したのですが、その時に空気を押し込むピストン頭がポロッと取れて、こともあろうに排水溝の中に…。ポンプはただの空洞のアルミ棒と化しました。
そして あ、ここで旅終了だわ。と思いましたw
しかし別のポンプをどうにか調達or借りようと切り替えて、付近に自転車屋か何かないか検索。
すると距離約2~3kmのところにサイクルステーションのようなものがあるとわかり、歩いて行きました。実際のところはカフェだったのですが、無事にポンプを借りることができ、旅を再開!よかった!!
しかしこれでまたパンクしたら、また立ち往生してしまいます。結果を言うと、そうはなりませんでしたが。

サイクルステーション(カフェ)を求めて歩いていた途中で見つけた掲示。勿来にも基地が。

さて旅に戻ることができ、次に向かったのは岩間防災緑地という広場。
防災緑地というのは津波などから街を守るための樹木を植栽するところです。

岩間防災緑地。樹木は育って、立派な防災林になるのでしょう。

この先防災緑地は多く見かけることになりますが、ここに寄ったのは、行程のなかで最初に現れたのと、津波被害の遺構があるから。
津波で破壊された防潮堤や、復興のモニュメントを見学しました。また緑地からは海が良く見え、この景色全てがあの日、襲い掛かってきたのかと思うと…。恐ろしいことです。

防災緑地のモニュメント「きみと」。震災の記録と勿来の子供たちの自画像を納めたタイムカプセル。
被災した防潮堤の遺構。
緑地の高所から。あの日の海はいかなるものであったのか…。

そこからは海岸沿いの道を行きます。津波ですべてが無に帰したためか、海岸沿いはいずれも新しい綺麗な道が敷かれています。
そして小名浜港に到着。水族館のアクアマリンふくしまをはじめ、ショッピングモールなどで賑わう場所です。

小名浜港のアクアマリンふくしま正面。

しかし水族館にもショッピングモールにも入らず、見に行ったのは防波堤!
これが実は沈船防波堤というもので、堤の底には旧海軍の駆逐艦「汐風」が沈められているのです。

沈船防波堤の紹介。「汐風」は現在完全に埋め込まれている模様。

海没処分されたり外国に売られたり、果ては核兵器の実験で沈められた艦艇がほとんどの中で、今なおそこに存在しているというのは、なんともロマンのある話ではないですか!
外見から汐風があることを窺い知れないかなと少し期待していたのですが、実際のところ何もわかりませんでした(^^;)
しかし、その場所に行ったことに価値がある。と思いたいw

新しい道と住宅。そして空き地。この日の天気は曇り時々 涙雨。

そこからまた海岸沿いを進みます。
先ほど書いたように道は新しく綺麗なのですが、周りにはまばらに新しい住宅がある程度で、基本的には芝生の空き地が広がっています。それがこの先ずっと仙台まで(おそらく仙台の先も)、そういう様相です。
かつてあったものは全て流されてしまったのだと、風景が訴えてきます。

塩屋崎灯台。

そして見えてきたのは、海に突き出した小高い岬の上にある塩屋崎灯台
ここにはそれまでの風景を総括するかのように「記憶石」なるものが設置されていました。

塩屋崎灯台のふもとにある記憶石。震災の記憶を後世に伝えます。

それからは休まず走り続けて、次の小休止で寄ったのは道の駅よつくら

道の駅よつくらで見る夕焼け。

ここで見たポスターで知ったのが、福島県の応援ポケモンがラッキーだということ。
そしてラッキーのマンホールが福島の各地にあるということ!
よし、しからば道中のマンホールはなるべく見て回るぞ!というサブミッションが追加されましたw
ちなみに私の好きなポケモンはヌオーとプクリンですw

このポスターでラッキーのマンホールを知りましたw

ここから日が暮れて、暗い道を進みます。
バイクのフロントライトに加えヘルメットライトも装着。Jヴィレッジを通過し楢葉町へ。
交通量の多い6号は避けて並走する道を選んだのですが、途中で道に迷ってしまいました。
真っ暗な中で地図の目印にする場所もなく現在位置をロストしてしまうも、どうにか6号に復帰。
福島第二原発の脇を抜けて、この日の終着地である富岡町に到着!宿に入って休みました。

道の駅よつくらのマンホール。なお、Jヴィレッジのマンホールは気づかず通過してしまった…。

こんな感じで2日目は史跡を訪ねたり震災の爪痕が見えてきたり、かなりつまみ食い的な道中でした。
すでに福島第二原発が現れたように、3日目は原子力災害の最前線に踏み込みます。
現在の被災地の様子もお届けします。ではまた、続きのライド記で!

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